
スペイン、MARCA紙の”Xabi Alonso y el Real Madrid: cuando el proyecto se rompe por el vestuario”を翻訳・要約し、日本語で紹介します。
この記事のポイント
- アロンソ体制は好スタートを切ったが、過度な戦術練習と規律に対し、一部選手が反発し、現在は機能不全に陥っている。
- クラシコでのヴィニシウスでの交代騒動以来、アロンソは求心力を失った。
- アロンソが目指した「規律と献身」のプロジェクトは崩壊し、旧態依然とした体制に逆戻りしている。
記事の概要
シャビ・アロンソ率いるマドリーの問題は、フットボールの質だけではない。何よりも「権力闘争」なのだ。
ヴィニシウスがベルナベウの衆人環視の中で感情を爆発させたあの日、シャビ・アロンソのプロジェクトは吹き飛んだ。
クラブが介入せず、すべてを監督の手に委ねる(事実上の黙認)という決定を下したことで、アロンソは開幕14戦13勝をもたらした権威とアイデンティティを失い始めた。
バルセロナ戦での勝利は、埋まるどころか広がり続ける溝を残す結果となった。
シャビ・アロンソは明確な使命を持ってクラブに到着した。
それは「明確なアイデンティティを持つ現代的なチーム」を作ることだ。
マドリー内部では、アンチェロッティやジダンのような「長期的かつ穏やかな手綱さばき」に飽きており、長年のアンタッチャブルな序列を排除し、アーセナルのミケル・アルテタのように道筋を示せる「より現代的な」新世代の監督を求めていた。
春にレバークーゼンで見せた手腕はベルナベウを魅了し、白い巨人には歴史的に馴染まない手法であっても、変革が必要だという認識で一致していた。
アロンソはレバークーゼンを王者へと変貌させ、無名の選手を世界的スターに育て上げた。
彼は自身のアイデアに忠実に、挑戦を受け入れた。彼はロッカールームに順応するためではなく、変革するためにやってきたのだ。
初日から明確だったプラン
就任直後、クラブワールドカップの時点からアロンソのプランは明確だった。
複数のシステムを操る戦術的柔軟性を持ちつつ、出発点は「妥協なきハイプレスと集団的献身」という譲れない理念にあった。
そのために、まずはエムバペを中心にチームを構築し、彼の周囲を献身的な選手で固めた。
アロンソは賢明にも世界最高の選手を信頼し、アンチェロッティ時代のような曖昧さを排除した。
一方で、ヴィニシウスには「プレーしたければ走れ」という直接的なメッセージを送った。
ブラジル人FWはベンチで過ごす時間が増え、交代も繰り返されたが、チームは崩壊するどころか勝ち始めた。
ベリンガムが肩の手術で不在だったことも、ピッチ上の公平性と献身性を高める要因となり、アルダ・ギュレルがチームの中心として機能した。
結果は上々だった。
開幕14戦で13勝。
歴史的な好スタートだ。
プレー自体は派手ではなかったが、堅実で競争力があり、信頼できた。
その期間、スタメンにはマスタントゥオーノ、ブラヒム、ロドリゴといった名前が並んだ。
特にリバープレートから加入した若きアルゼンチン人(マスタントゥオーノ)は、プレスをかけ、相手に噛みつき、チームの努力を支える能力でアロンソの鍵となった。
ゴール前の決定力不足で疑問視されることもあったが、アロンソは彼のハングリー精神と、前線からのプレスとリトリートにおける論理的な従順さを愛した。
彼はアロンソが初期に求めた「兵士」であり、模範だった。
しかし、結果が出ている裏で、ロッカールームの大部分は不満の表情を浮かべ始めていた。
ヴィニシウス、ベリンガム、バルベルデといった主力たちは、監督の手法に不満を示した。
内部からのリークも始まった。
多すぎるビデオミーティング、重すぎる戦術練習、黒板を使った過度な要求。
選手とコーチ陣の間には、典型的な「冷戦」が勃発していた。
ロッカールームの冷戦、そして決裂点のクラシコ
ヴィニシウスはこの対立の象徴だった。
彼は脇役であることも、守備のタスクも、度重なる途中交代も受け入れなかった。
監督のメッセージは一貫していたが、ロッカールームは逆方向へと舵を切り始めていた。
すべてが崩壊したのはクラシコの日だった。
残り20分で交代を命じられたヴィニシウスが、公然と爆発したのだ。
このリアクションが悪い意味での転換点となった。
クラブはこの規律違反に深く介入しないことを決め、対応を孤独な監督に丸投げした。
処分は下されなかった。
この瞬間、シャビは戦いに敗れたのだ。
あの日以来、バレンシア戦やサン・マメスでの試合など特定の試合を除き、マドリーは坂を転がり落ちている。
以前のようなプレスが止まり、ブラヒムやマスタントゥオーノがスタメンから消え、ヴィニシウスとベリンガムが再びアンタッチャブルな存在となり、バルベルデがサイドバックの位置まで下りてこなくなったのは偶然ではない。
クラシコ以降、シャビ・アロンソは「監督(コーチ)」であることをやめ、彼が最も避けたかった「エゴの管理者(マネージャー)」にならざるを得なくなった。
コーチから「マネージャー」へ
アロンソの当初の構想は、名前やステータスに関係なく「全員が走るチーム」だった。
だからこそ、ヴィニシウスやベリンガムに対して厳しく接したのだ。
それは罰するためではなく、今までとは違うやり方を教育し、彼のマドリーでプレーするには走らなければならないと理解させるためだった。
アロンソは彼らをワールドスターとして認めていたが、アイデアへのコミットを求めたのだ。
彼は「厳しい監督」であることに賭けたが、ロッカールームの平穏のために方針転換を余儀なくされた。今、サッカー面の問題は明らかだ。
管理人の感想・考察
正直、この記事をまとめていて胃がキリキリする思いでした…
僕自身の考えを少し深掘りしてまとめたので読んでみてください。
「マネジメント型」の限界と近代化への遅れ
個人的には、近年の欧州強豪クラブが軒並み戦術的な近代化を進める中で、レアル・マドリードが採用してきたアンチェロッティやジダンのような「マネジメント型」の手法には、すでに限界が来ていたと感じています。
昨シーズンのアンチェロッティ政権は、怪我人の多さという同情すべき点はあったものの、攻撃面でも守備の構築面でも、構造的な課題を最後まで解決できませんでした。
だからこそ、シャビ・アロンソのようなモダンな戦術を持ち込み、チームを根本から作り直せる監督の招聘には大賛成でしたし、心から期待していました。
フロントの「無責任」な姿勢
しかし、現状はどうでしょうか。
フロントもチームの刷新が必要だという思惑を持っていたはずなのに、アロンソにフットボール面だけでなく、最も困難な「選手たちのマネジメント」まで丸投げしてしまった。
マーケティングを優先するが故の「歪なスカッド」を抱えながら、アロンソが望むような規律と戦術を遂行させるのであれば、フロントがもっと現場に介入するか、あるいは「監督の方針は絶対だ」と公に支持する姿勢を見せなければならなかったはずです。
加えてモドリッチやルーカス・バスケスのようなチームに安定感をもたらすベテラン選手たちを放出し、それを怠ったのは、アロンソを過大評価しすぎたのか、あるいはスター選手との摩擦を避けたかったのかは分かりませんが、あまりに無責任だと感じます。
「レガシー」か「進化」か
結局、このままスター選手を優先するクラブ運営をいつまで続けるのでしょうか?
CLを獲ったシーズンでさえ、プレミア勢を相手に試合内容では圧倒されています。
ドン引きして守備を固め、個の力によるワンチャンスを狙うしかなかった
(※もちろん、それもフットボールの一部ではありますが、再現性という意味では疑問符がつきます)。
もし、レアル・マドリードがこれからも世界トップの競争力を「フットボールの内容面」でも維持したいのであれば、答えは一つだと思います。
クラブはエゴの強い選手をコントロールするか切り捨て、未来を作るシャビ・アロンソを全面的に支持すべきだと思います。